ウホウホぼくは原住民コスの人

基本的なスタンスとして、私のTwitterや動画では、おもしろおかしいという需要にお応えしています。みなさんはどんなペルソナで生きてますか?どうもみなさん、オペラ座の怪人です。

サクマドロップスの缶が開けられなくて詰むとか、深夜に大学に行くとか、マンコ&マンコピザとか、そういうロケットニュースな話題が提供されるべきではないんでしょうか。自分はそういうツイートを漁っているし、そういう俗物的エンタメが会話のスタンダードではないかとまで思っているためです。 Twitterでは比較的クラスタがひしめきあっているので、限界オタク的クラスタにおけるスタンダードなのでしょうが、そういうのないですか?ふたばちゃんねるとかいう忘れ物の波止場でみんながとしあきになるのと同じだと思うのですが、どうですか? ポジティブであるという言説は、流布しているところでは、心理的に長寿的なイェ〜イな感じですね。一方ぼくはといえば、ポジティブというのは話を続かせるための娯楽としてのツールと思っています。「いまさらそんなこと博識そうに言われても……」って感じですね。

Twitterとか日常会話とかが普段の思考とかなり乖離しているというのはない話ではないと思うんですよ。 だってふたばにいる人たちがとしあきという人格を持ってるかと言われると違くないですか? それを無視してとりあえずコンテクストを取り出して、こいつTwitterでこういう話してるからこういう奴!みたいなの困りませんか?翻ってTwitterでこういうしてるからこういう奴みたいなそのままの人もいるわけなのでややこしいですね。

話がややこしいのは作品の解釈とか文芸批評的な立場よりも、品定めされてるときで、実際に会ってみてTwitter的テンションでこられても困ったり、Twitterを見てこいつはなんて優しい奴で素晴らしいみたいな評価を安直に下しているのを目撃して突如襟を正してみたりしませんか?襟を正しつつ、「コレ、ペルソナなんで」みたいな切り出し方をしたいんですが、ぼくは娯楽とかリラックスのための方便なので、「リラックスしてるってことは、それってつまり、本当の自分、さらけ出してんじゃないの」とかなりませんか?やかましいわ。エロ本漁ってるときのほうが本能的にも服装的にも本当の自分さらけ出してるやろがい。どうもみなさん、野人です(挨拶は大事)。完全に互いが異文化なので、異文化理解の厳しさを乗り越えることは困難であって、そういうキャラクターを頂戴することを甘んじて、なんとかなんねえかなあとか部屋の隅でいじいじやるしかないわけですね。

異文化の理解は相互に厳しい部分があるので、結局の所そういうキャラクターとして定着することに甘んじるほかないのですが、なんとかなんないですか?自分の要素の切り出し方を改めたほうがいいというのは、娯楽を失うので無理ですよね。オタク全般はオタク以外の理解が得られないというのはこういう部分にあると思うんですがどうですか? そんな感じです。