保守の牙城

ノートパソコンって、画面の中心に体を置くと右手がテンキーをよける分手の置く位置がアンバランスになりませんか?それが原因なのか、最近アホほど肩を凝らせてしまっていてきびしい。作業スペースにはキーボードを持ち込むようにしています。 ちょっと前まではマイキーボードとか高いの見せつけたいだけでは?という感じだったのですが、マイキーボード勢となった今、それが肩凝りが原因という悲しいかな仕方ない状態に悩まされていることを知り、またひとつ老齢方向にかしこくなりました。 お元気ですか?ぼくは元気です。

最近生活が限界を迎えつつあります。 バス代を出すべきか飯代を出すべきか。趣味で京都に行くのに新幹線代、なんか勢いで買ってしまった絵画、ルーター、L2スイッチ。収入がほぼない現状、OhNo~~~~ってATMの前で頭を抱えるのは半年以内だろうなというくらい出費が激しいので、なんとかせねばなるまい。出費を減らすには出所であるところの趣味の類を減らしていかなければならない。

子供のころの夢って、まあサッカー選手とか芸人とかゲームクリエイターとかだと思うんですけど、子供の想像力がやりたいことを際限なくポップさせてきて、自分はどこかの枠組みに収まるのだろうか?と思っていたのですが、まさか金銭的に絞られていくというリアルを知らなんだ。最近時間も足らないですしね。久々に土日ただダラダラ自分の部屋に引きこもって、時間の長さに驚愕して豪遊してしまったのですが、もっとやれることがあったんじゃあないのか。

ただ、そういうやるべきことを整理しようとするたび思うのですが、やりたいからやってるのを絞るのってどうなんですかね? 最近、Switchのファンが壊れてSplatoonをまともにできなくなってしまったのですが、修理するとまたできるようになってしまうし、そこまでやりたいか?というとそうでもないなあとか思って、2,3000時間くらいやってたのをパタリとやめました。しかるにこういう趣味は癖のようなもので、出来ない状態においてみると、その領域への興味はスハーーーと失われていくんだなと。 ただ、ここまでかけてきた時間は?努力は?それでいままでできなかったあらゆることはどうなる?愛とは?みたいな話になってきて、うおおおおおおって感じじゃないですか?個人的にはそういううおおおおおおってのを経てやめなかったSplatoonを、やっぱり今回のようなケースでやめているので、こうした感情は愛なのか偏執なのかわからんなと思っている次第です。

これがこのあとどうなるのか?ということを考えるのが自分ではない仕事という活動は、悪くない物ですね。 誰が使うんだろうというよくわからないものを作っていても、世に出して得するのも損するのもぼくではなく、ぼくはおかねがもらえるのでなんの損益も生じない。何なら技術力も得られるので、より食い扶持に期待できるというのがさらによい。時間の使い方として案外精神衛生上悪くないので悪くないなという感じでした。 かといって仕事が多すぎて毎日やってるとそれはそれできびしいです。日本人の残業が減らないのは、実は残業をした日の就労への満足度が高いからというのもあるそうですよ。きびしいと感じた時は素直に休めるように、ほどほどに付き合っていきたいなと思います。

書いているうちに、テンキーレスのリアフォを買いたい欲が収まってきました。これでまたほかの趣味に傾倒することができるわけです。 そんな感じです。