博識になりたいのなら謙虚たれ

またぞろクソ長い文章を書いたので要約しますと、『たくさん物事を知りたいなら、謙虚はいい指標だ』みたいな話です。興味があれば。

それでは行ってみましょう。

 

そもそも謙虚とは何でしょう。端に立って縮こまることですか?それとも他人を気遣う姿勢?人によって線引きが様々なのは言葉である以上仕方がありませんが、イメージとしては積極的にガンガン前に出ていく姿勢ではない、というところは共通しているのではないでしょうか。

 

 

広義のシグナリングの話をします。経済用語だと少しニュアンスが違いますが、知識のある人がない人に説明すること、もしくは傾向というような意味です。資格を取ったというシグナルがこんな能力があるすごいやつという説明になる、というようなことです。

知識自慢をすれば自分が優位となりますから、自分が説明する立場になります。相手を聞き手にさえすれば、自分のシグナルをたくさん覚えてもらうチャンスとなり、この意味で今季のアニメである『幼女戦記』にも出てきましたね。相手に情報を開示してほしいときは逆に、自分が情報を知らない状態を作ります。相手を語り部にしてやるわけです。

ハッタリも、自分を強く見せるためのシグナリングと言えますが、これをすると相手から情報の提供が少なくなるため、新たな知識の獲得をする意味では損です。

 

反省とは自分の間違いを正す行為です。おみくじの凶をあらかじめ減らせば、いい運勢が出やすくなるのは当然ですが、反省も同じことです。反省しまくれば負ける理由が潰されて、残るのは勝つことのみだとはポケモンプレイヤーでは有名な話。

あくまで間違いを正す行為なので、間違いがわからなければ反省することはできません。オセロ初心者が、角を取られるのは不利だと気付かなければ、角をとられまいとする行動は生まれないわけです。自分のやり方で間違っているわけがないとか、あまりにも全力投球しすぎて試合内容を忘れてしまったとかで、反省の機会を失うことがあります。やり方を信じることは重要ですし、試合内容を忘れるのも気質の問題ですが、それで反省の機会をむざむざ失ってよいのかというのは疑問です。今のやり方のどこか一部分が間違っている可能性があると思えばいいわけです。忘れっぽいなら録画なりメモなりすればいいわけです。

 

うさぎとかめの話を引き合いに出してみます。競争することになったうさぎとかめ。うさぎはかめがすぐには来ないだろうと途中で休み、かめはゴールを目指して休まず進み、結果うさぎはうっかり長く寝てしまって、かめが勝ちましたという話です。休みをよしとしない日本の悪習が見えますが、休まないと人間は過労死を免れません。この話は教養として素晴らしいから現代まで口伝され続けたわけですが、過労死を推奨するだけの話であれば、教養ではなく洗脳です。うさぎとかめは何も、かめのように『ゆっくり行け』でも『休むな』でもないところ、両者が何を見ていたのかという姿勢を問うていたのではないでしょうか。

うさぎは鈍足なかめを見たため、すぐには来ないと思って休んだわけですが、かめのほうはさっさと行くうさぎか、あるいはゴールだけを目指したかもしれません。

うさぎの背中を見ていたとすると、休めば追いつかないという結論に至ったがゆえの行動だと思われます。自分ができることを把握し、相手を分析して勝ち筋を探るのは重要な能力です。

うさぎはすぐに視界から消えるでしょうから、ゴールだけを見ていたとすると、うさぎという対戦者のずばぬけた能力に気圧されるよりは、その一歩が目標に近づくという過程のほうが重視されていたことになります。なぜならば、かめの小さく遅い一歩では目標にはあまり近づきませんし敗色濃厚ですが、諦めていなかったためです。諦めていないとするなら、自分の能力にも相手の能力にも左右されない、他のことで励ましていたことが考えられます。

他にも、現代の視点でみると無休奨励ですけど、明治期に日本の教科書に載ったときのタイトルは『油断大敵』というあたりにも、『休むな』というメッセージを伝えたかったわけではないという裏付けとなり得るのではないでしょうか。

童話以外にも言えますが、言葉や文章は解釈をいくらでも添えることができます。自分にとって得なように解釈してもいいんじゃあないでしょうか。おみくじみたいに。

 

謙虚が指標というのは、他者から学ぶ・反省・分析・比較しないというのをひっくるめたちょうどよい感じの言葉ではないかなと思った次第です。自慢をしないとか、間違いや不足を認めるとかの姿勢というのを、謙虚と呼ぶ以外わたしには思いつきませんでした。

わたしが言っている謙虚とはこのような意味合いですが、謙虚は線引きが難しいという問題が残ります。この言葉にまつわる印象として、指標として扱うべきではない『謙虚』のイメージも書いておかないといけません。

 

みんながこうしているのだから、わたしも我慢してそうしようというイメージが謙虚にはないでしょうか?日本人的な美徳とは思いますが、必ずしも美徳とは言えません。

なにかの行列の順番を守るというのは美徳でしょうが、周りの目を気にして不調にも関わらず有給も使えずに病院に行けないことが美徳?まあ、歯車的に言えばいなくなられると困るというのはありますし、そういう失調があってもいいように余裕をもっておかなかったことがいかんといえばいかんわけですが、無茶です。

人から聞いたことを自家薬籠中のものとする技術も、ちょっと小耳にはさんだことを調べる技術も、そもそもそのことを耳にはさむかどうかさえ、それらは本能に備わっていませんから、受動的なもの、要するに手に入れられるかは運です。この時点で、教育した側の責任に思えますが、それを教育するように教育されなかったことが原因でもあります。この議論を繰り返すとどんどん先祖に責任がたらいまわしされ、そんな先祖を生み出した地球、ひいては宇宙創成にケチをつけることになります。カントールの対角線みたいですが、責任問題が無茶というのはこういう意味です。神、恨んでみます?無神論者とは言ってもわたしは勘弁。

まあ、できることなら被雇用者はエクセルくらいは使えてほしい、雇用者はプリンシパル=エージェント理論くらいは抑えてほしいと思うのは誰しも。

 

 

謙虚であるべき点、そうでないべき点はさまざまです。ここは攻め時だと思えば自分の実力を信じるほかありませんし、堅実に行くべき時は実力があったとしても抑えて安全な行動をとるほかありません。

この堅実さを思い出すのに謙虚と言う言葉はピッタリで、かつとっても短いので、悪くはないのかなと思うのです。そういう提案でした。

 

そんなかんじです。