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傾斜2度くらいの高山を写真を撮りながら進むみたいな泥臭い話

Thinking

一行概要を書くと、残り1500文字を読む必要がなくなる、Win-ZIPも真っ青の圧縮率のブログを書いています。今日のお題は、向上に特別な感情がわかないことと、成長記録は面白いってことです。本編終了。解散。

 

 

解散しない人はおまけです。昨日の記事の最後の、

もうちょっと、記憶ってやつが付き合いやすくなってくれりゃいいのにな、と思ってこのあたりをうろちょろとしているので、現状のレベルで見える景色を書き残しておきます。

について少し思うところあるので書いておきます。

 

編み物から、靴下の履き方まで、経験と時間と努力次第で上達する能力は山ほどあるわけで、上達していく過程で『ちっくしょうなんでうまくならんのじゃ』みたいな葛藤と闘いながら、時には調べ、時にはがむしゃらに、次のステージを目指して進んでいきます。レベルが上がりすぎると飽きとかめんどくささのような特別な感情がなくなって、次第にどこを工夫しているのかさえ忘れ、『どうやったらそんなにうまくできるんだい?』と聞かれて『普通にやりゃできるよ』とかいうまったく参考にならない言葉しか吐けなくなることを、"ヤカンのサビ取り"上達の過程で学んだので、何か聞かれたときのために文章の力を借りて、このようにたまに記録しています。

天才とくらべると凡才はレベルアップに経験値が多めに必要だったりして、しかも道中メタルスタイムも、ゴールドマンも現れない旅路が続きます。経験値を上げる作業自体は非常にハードルが低いのですが、あんまりにもハードルが低くて刺激のないことを何時間も続けるうちに、いかにして次の一時間を耐え抜くかという精神的な問題にすり替わってきます。その場面でドロップアウトしたりしなかったりして、十分レベルアップするころには、もはや悟りの境地、雲ひとつない快晴もとい何の起伏もない精神状態にまで至るわけです。そうなったときに、『楽しいところは何ですか?』と聞かれても、もはや抽象的になりすぎて言葉で言い表せなくなって、『なんかしらたのしいけど、なんで続けてるんだろうね』とか言いだしてしまうという具合なのがわたしです。

 

閑話休題。わたしにここまでの啓蒙をもたらした我が家のヤカンは先代にあたり、現在使っている二代目は最近の素材なのであんまりサビない焦げ付かないで、面白みのないヤツです。サビが取れないからと言って、そこにヒマつぶし以上の目的はなく、サビがなければ恋恋高校の継承選手作成でもしてればいいので、特別な感情はありません。というか、ペリペリツメで剥がすのと、Lトリガー押したままAボタン連打のパワ高サクセスと、たいした違いはないですね。良く聞く、達成感のドラマティカルなイメージは人生でそこまで出くわしていません。ヘタだったら、何か足りなかったら、それをどうにかするまでであり、どうにかする方法も考えるまでもなくただ継続あるのみという一本道なので『すんげえ面白い』『すんげえつまらん』みたいなデッカい感情にはなりようがない分、思い入れがないんでしょうね。思えば遠くまできたもんだ、というのは、笑いあり涙ありの大活劇ありきであり、根性主義のプレイ時間を積み上げただけの向上は、『そんだけやりゃ成長するだろ』と変に納得してしまって、達成感というより、ただほっとするだけになってしまう。悪いクセです。

 

 

さて、成長記録というものは面白いものです。成長とはちょっとした気球みたもので、ただ吹かしつづけていれば風に乗ったり乗らなかったりして、ともかく上昇しつづけるわけですが、上昇しすぎると地上が霞んで見えなくなってしまい、しかし目指しているのは上なので、雲の上、変わり映えしなくなった景色を眺めながら、地上のことを忘れていきます。記録は、その時の景色が心情も含めて書かれていたり、そのときにしかできない化学反応な発想も添えられていたり、まあ記録することそのものにわたしは楽しみを見出せませんが、読み返してみると面白いものです。ヤカンに関してはすでに釈迦のような感情しか抱けなくても、そうやってトリガーがあれば、元旦に新しいパンツを履くような新鮮な感情が抱けるわけで、とってもよろしい。

記録そのものにも、記憶を定着させたり、書きだすことで新たな発想を得たりと、地味ながら効果があるのがまたいいです。

 

 

ピクミン2オリマーメモの雰囲気がなんとも言えず好きで、はじめてみた記録という作業ですが、意外にスルメなところがありましてそれなりに続いています。

ただ、記録を見返すことで感じている感情というのは『面白い』というもので、楽しいというものとイコールなのかはよくわかりません。続けてて何にも感じないけれど、毎日それなりに続けているというのは『楽しい』という感情にカウントされるんでしょうか?やっぱりよくわかりません。『楽しそうにやっているね』『すごいね』とか褒められてみても、心当たりがありませんで、きっとわたしは楽しいという言葉の定義を間違えているように感じます。それとも考え方が違うのかしら。もしかしてつかさ、お気に入り?

謙遜以前に、プレイ時間の浪費から考えて、『当然どころかもっとできたはずだぞ』くらいの不完全燃焼なことを思っています。もうちょっと素直になれよな。

 

向上することには、面白さが感じられないことで挫折してしまいがちなのですが、ある程度向上できたことも思い返せば、挫折したことと何も変わらない道程を歩んでいて、そのあたりはギモンを感じています。どこがどう違うから続いたのかしらん。というか自分のことなのになんでわからんのやろな。わからないので、やっぱりいつも通りに、考え続けて降ってくるのを待つとします。

 

さて、もう2000文字を突破しているので、このへんにしときます。というわけで平坦な向上と起伏に溢れた記録について、無感情ながら時折つまらなさを感じていますという話でした。