読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

たくさんのページのあるノートって誰が使うんでしょう?

たっぷり…ざっと100ページくらいのノートが文具屋に鎮座していたので、誰がどう使うんだろうと気になったときの話です。

 

 

デジタル全盛の時代にもかかわらず、ページがたくさんあるノートはいつもノート売り場に並んでいます。しかしあんな分厚い鈍器じみたもの、一体誰が買うんだろうと気になって、売り場近くを一時間ほどウロチョロしていたのですが買い手がつかなかったので、とりあえず買ってきて、机に鎮座させたら使い道のひとつやふたつ思いつくだろうと思って現在に至ります。

ツバメノートのB5の100枚綴じとかいう500円もするブツなので、いっそのこと家宝にして中性紙の耐久性のテストでもしてやろうかという具合で、唯一の使い道なのに未使用品というわけのわからない考えに帰着しました。

 

ラーメンズ小林賢太郎氏のアトリエの映像をチラと見たことがあるのですが、彼はネタ帳?かなにかに使っていたようです。まあアトリエは雰囲気があるからこそ、誰も思いつかないビジョンが描けるというもので、そういう意味でツバメの100枚綴じというのはクラシカルで部屋にマッチするんでしょうか?本当にチラとしか見ていなかったので、というかアトリエにデカい黒板があるほうに目が釘付けだったので、ノートについて何か喋っていたような気もするのですがさっぱりボヤけてます。まあこんなような感じの扱いだったということで。

 

わざわざ厚い必要がある、というのはどういうことなのでしょう?

ただ記録容量が多いのがニーズなら、タブレットに64GBのmicro SDでも刺せば広辞苑を2240冊*1ぶんのノートを持ち歩けるわけですし、GREPかなにかで検索できますからわざわざノートが飛び出してくるとも思えません。

組版したいけどめんどくさくて手書きにする、というのにもやはり、ツバメ100枚綴じを前にしてはフェルマーの最終定理の証明だって小さく見えますし、そもそもそんなにかかる証明はエレガントじゃないので倫理的に途中で使えなくなってしまうと思います。朝顔の成長記録だって見開きにして200ページとかシーズン終わってしまいますし。日記、という使い道をしている人がいたのですが、それだけのために売り場に並んでいるわけでもないと思います。というか日記なぞつけるほどの生活を送っていないので、参考にならないというのが実際。

 

どんな人が、あんなページ数を扱うに足る目的を持っているのでしょうか?

さっぱりわからないので、とりあえず神棚に飾って、『我が家の本棚自慢』系の本でも漁りに行くとします。疑問が晴れたらまた。

*1:プレーンテキストで換算する。挿絵なども込みだと128冊くらいだそうで