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良いものにお金をかけるというライフハックのあれこれ

Thinking

三菱のハイユニ鉛筆、ステッドラーの製図シャーペンとか、ミドリのトラベラーズノートとか、ポスタルコのスナップパッドとか、高いけれども良いもの、というものがあります。

文房具に限らず、カバンであるとか、時計であるとか、パソコンなども、仕事や暮らしの道具として、良し悪し、そしてまた価値というものがあるわけです。

仕事をして、お金を得て、それで良い道具を買い、もっと良い仕事をしよう、こういう考え方もまたあるわけです。そういう四方山ばなしをつらつらやろうかなと。

話は突然スプラトゥーンに変わります。ひとゲーム三分で、水鉄砲ならぬインク鉄砲を敵に当てて敵の邪魔をして、自分のチームのインクをたっぷりあちこち塗りたくれば勝ちという陣取りゲームのようなものです。世界中の人たちとこういう対戦をしています。

相手を倒すと、相手はまたスタート地点に戻されて大幅なタイムロスになってしまうので、倒す・倒されるはその試合を決めるテーマとしては大きく、撃ち合いでの強さを伸ばそうとプレイヤーは工夫をしています。そういう強さを決めるポイントとして、プレイヤーの技術や判断力、それから使う武器、そして着る装備がこのゲームには備わっています。強い、というのはそれらの総合力なわけです。

ですが、その強さはプレイヤーの技術・判断力(これらを通称プレイヤースキルと言います)がかなりの部分を占めます。強い武器、弱い武器というのもありますし、その武器にあった強い装備というのもありますが、結局のところそういう道具を扱う人間が弱ければ結果として弱いわけで、強ければ強いのです。プレイヤーの強さが限界に達すれば、それ以外の部分での差が出てくるでしょうが、そういった話は聞きません。プレイヤー対プレイヤーを制するのに必要なのは、そのプレイヤースキルであって、道具ではないのです。負けて矢庭に『武器が弱いから勝てなかった!』『装備の考慮が不十分だからダメだった!』となるよりも、『どっかしらの技術で負けたんだ』と考えるほうが自然です。

他のところにも当てはまるところがあると思います。何にしろ競う機会はあると思いますが、よっぽど、壊れた道具を使っているでもない限り、道具のせいで勝敗を分けるということは少ないはずです。道具選びを中心的に考えるべきではなく、技術を磨くこと、もっといえば楽しくやり続けるだけでも、次の勝負ではより強くなれるはずです。

 

道具の出番は、そういう勝敗に直接かかわる点では、自分の持っている技術をまっとうできるかどうか、が重要に思います。他に考えるべきとすれば、あまりにも安いものだと壊れやすかったりして、買い直しを何度もすると却って高くつくとか、節約のために何も買わないことにすると、便利な道具さえ買わないことで、生産性が悪くなるとかでしょうか。

自分の持っている技術をまっとうできる、というのは何も耐久性や使用感だけにとどまりません。使っている本人の気分の良し悪しで出来不出来が変わるというのも大いに考えられますから、その道具を使うことが喜ばしいかどうか、というのも価値基準に加えてよいはずです。これが、良い道具を買うライフハック、という考えが生まれた要因の一つだと考えます。

行動を達成することが目的なら、道具だけに注力するのはいけないにしろ、道具に対してまったく見向きもしないというのもまた、いけないのです。その要因が、物理的でも心理的でも、です。勝敗というのは、時に自分の正常な感覚さえ狂わせますから、本当に道具が原因で勝敗を分けたのか、判断がつかなくなることがあります。わたしはあくまで技術の問題を疑うようにしていますが、他の要因かもしれません。そういう問題はあらかた検証してみて、はじめて問題の姿が捉えられるのであって、いろいろ考えてみるのがいいのかもしれませんし、時間ばかりかかって問題を解決しても成果があまり得られないなら問題を忘れてしまってもいいのかもしれません。少なくともいえるのは、道具だけに躍起になるべきでなく、ほかの検証すべきことがないかと、正しい検証や判断ができるだけの精神状況かどうか、時間や金銭などの制約も考慮に入れるべきだろう、ということです。

 

安くてもいい道具、というのは意外とあります。高いものから探すだけでは、良い道具のすべてをさらったことにはなりません。測量野帳やハイユニ鉛筆、ジェットストリームなど、500円を超えないながら、しかし相当良質なものです。わたしは、これらを文房具においての技術を最大限発揮するという点において、たいていの物理的要件を満たしうると考えます。

もちろん、鉛筆はファーバーカステル!とか、ノートはロディア!とか、そういう好みもあるわけで、好きな道具を使うことで気分が高まるのなら、それは各個人の要件を満たしているわけですから、それはそれでいいわけです。こういう問題については、正解がない、とよく言われますが、条件が人によって違うために、正解もまた人によって異なる、と私は考えます。高いというだけでも、ほかに買い替えがたくなるので、道具であれこれ悩まなくなってよいというのもありますから。

さて、これは本文の主題とは関係ないのですが、あなたとわたしは違うけれども、それでも正解らしきもの、あるいは正解に辿り着いたあまたの試行錯誤の縮図としての経験というものは、自分一人では得難いため、彼らの道具のおすすめもまた、聞いておいて損はないと思います。自分以外の人生経験まで持てるのですから、その分人生を多く歩いたも同じと考えるためです。ということで、先述のハイユニ鉛筆やら野帳やら、意外と面白い道具ですので、ぜひいろんな人のブログや、実際に手に取ってみるなどしてみてくださいね。

 

それから、技術書も、ただ技術を習うよりは幾分か安く、そしてなかなか時間をつぶせる面白い道具です。技術書と言っても、裁縫の本でもヘアカットの本でも、興味を持ったならなんでもいいです。他人に任せずに、自分でやってみるというのは、安く上がるというのもありますが、他のことを考えるときに考え方を流用出来たり、単純に便利だったりします。人に勧められて、自分の興味がわかなかったらそれまででしょうが、興味がわいたらきっかけはなんであれ、本という選択肢をためらうべきではありません。情報がずいぶん詰まっていますし、正しい情報かはさておきとして、それを考えるに至る構造を知れる、というのは大きな利益です…といってもこれはやはりオマケのようなもので、単純に『面白いから』といったところでしょうか?

技術書に限らず、技術も道具と考えて、自分に対する教育にお金を使うことも結構いいと思います。これも純粋に、できないことができるようになる、というのは面白いことだと考えているからそう言っているだけなのですが、できることを増やしていけるというのは素晴らしいことです。これらの教育、というのは学校教育が連想されて嫌気がさすかもしれませんが、先述の通り、どんなことを学ぶでもいいのです。プログラミングについてでもいい、料理についてでもいい、スポーツについてでもいい、とにかく、自分が得られていないことを、なにかひとつでも持って帰ってくれば、その時点で自分はより強くなり、強くなる以上に楽しいと私は考えます。

『魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ』なんて言葉もありますが、確かに地魚くらいは自分で取れるほうがいいわけで、もっと言えば魚釣りでうまくなりたいと思えるスピリッツさえあれば、もっといいわけです。そのへんは必要十分がいいとか、主義思想に絡みますが、しかし教えられた以上に知るようになることで、ひとつの知識をぐっとしゃぶりつくせるわけで、ずいぶん、愉しいわけなのです。そのあたりは理解してもらおうと思っていませんが、対外的には、『便利なことが研ぎ澄まされればもっと便利になるんだから、悪いことはないだろう』と答えることにしています。このへんは、雪を研究していた中谷宇吉郎先生の受け売りです。

 

ここまで、技術ばっかりの話でしたが、技術を得たから強くなる、と考えすぎると却ってよくないことが起こります。技術が勝敗の大半を占める、と言いましたが、勝敗を追求する過程で忘れてはならないのは、技術があくまで大半なのであって、自分を支える道具も考えるべきですし、そもそも自分自身の体力や心理的健康なども考えるべきなのです。いずれにしても、深く考えすぎるとクセになるので、とりあえず『楽しい』からOK、という風に記述しておきます。快感というのは、次の行動の欲求になり、記憶力の向上につながりますし、まあ悪いことがあるとすれば、やりすぎて寝不足になったりします。まあ割と悪くない考え方ではあると思われます。脳科学系の本に書いてあったのの受け売りですが。

つまるところ、良い道具を買う、というのは、向上するためのひとつのカードとして考えてよいことであり、しかし手札のうちの一枚に過ぎないということであるのです。

 

いいものを買う、というところからずいぶん脱線したように思いますが、以上のような考えを持っています。

そんな感じです。