たのしい『ムカつくコメント』のよみかた

むかつくコメントを頂戴することって世の中いくらでもありますけど、「ああ、この人はかわいそうな人なんだな」ってなる人相当キレてるよな問題。ここからいろいろと広げてみましょう。

 

 

怒るってよくないそうですね。怒って血管浮いてる人とかいますが、プチーンってはちきれるんじゃないかな、と思っていたところ近いことが体の中で起こっちゃって大変になっちゃって墓入っちゃって、ということがあるようです。

むかつくコメントを思いついても、怒らない方がいいというのはよく聞きますけど、その対処法が『ああ、この人はかわいそうな人なんだな』『この人は感情に訴えるしかできないんだな』とか紹介されてたりするんですけど、キレてますよね、限りなく。

以前書いたように、こういう暴言チックなものだろうが、『いいですね!次はこういうのも作ってください!』みたいな本人は悪意のないゆるやかな首絞めだろうが、感情の要素を抜きにして主目的を考えて、取り入れていくとお得です。冷静になるのなんて、10秒数えるだけで済んじゃうんですから*1、下手にカロリーを使うだけ無駄というものです。

 

さて、今回もうひとつ論じたいのは、『こういうむかつくコメントがある世界やだ!』と思ってヘイトコメントなくなれ運動をするのはいかんという話です。

ヘイトスピーチが禁止されたのは、思うにキレ芸を使うと他人の心を操作しやすいため悪用がこまるのと、戦争の火種とか面倒だから摘んでおいたというところでしょう。言論の自由以前に、その自由を許したがために大きすぎるリスクを背負うのが嫌というのは大きいでしょうし、そもそも報道や書籍など表現の場でムカつく言葉に頼るのはナンセンス。そもそも、ムカつく言葉に反応したのを楽しむ目的、という猟奇的なことが許されると、言葉はライトな核爆弾に成り代わります。

しかし人間、日々に感情を覚えるのなら、コメントもまた感情があって、それが自然です。そう思ったんなら、そうせいという話で。十人十色、めちゃくちゃに塗りたくったようなごった煮か闇鍋みたいなのも、百花繚乱なんて言葉で飾ってしまえばそれでおしまい。コメントくらいで人は死にませんし、もし死んだとしてもどっちかがやりすぎなのです。やる側も、やられる側も、喧嘩は泣いたらおしまいです。制限という行為も相当に好き勝手、自分本位ということがあります。その論理は、微分不可能な感情を微分していませんか?伝家の宝刀は使うべきところで大切に抜くべきです。

 

怒らないで、まともに返答している場合もいくらか考えるべきことがあります。

制作側が、『作品好きです!次回作も頑張って!』というコメントに支えられています、という紋切りの話をしたら八割くらいは字面通りの意味ではなく、ムカつくコメントするやつはこういう模範的なの見習えとか、いい子っぽく見せようとか、礼には礼をとか、行間になんか仕込んでいると思うのです。『帰ってきた!』とあまり真面目にならないように。ほーんとに字面通りの人は多くないでしょうし、それでおのぼりになってホメるコメントをしまくってもね。

それから制作側も、コメントに支えられる人はさておき、おのぼりさんになったり、裏があるよなと勘ぐったりという人もいて、そういう人たちは自分のリズムが崩れることを恐れて、あまりまともにコメントを読むべきではないことがあります。『読まなきゃ!』と真面目にならないように。自分を滅ぼす場合があります。

神聖六文字は行間の遊びだったわけで、ほどほどに読むべきだったのです。

 

会話は一方的なもんだと認めると、相手の出方の、自分の評価の、面白さというのが出てきます。昭和の人の言う、『議論を戦わせる』なんてこの最たるところで、言い合って買った負けたするこれは、別に議論の結果、相手がをコテンパンにするのが目的ではなく、勝つために競って喋るのが面白いのです。腹を割って話そうとか、面白くてぶ厚い経験だと思います。キレながら笑顔が出るので寸劇調です。女性はこういうお芝居に長けているので、たまに男性はヒヤヒヤしますが、そういうスポーツなのです。

どうしても議論で勝ちたければ、相手が本当にキレたら勝ちです。感情が揺らいだらあとはその振り子を大きくしていって、泣かせばいいんです。それで、誰が見ても負けが決まり、勝ちが決まります。レッテルとか貼ったり、適当にあしらえばいいのです。都知事になった小池さんは、この辺のあしらいがうまいですね。ムカつく言葉を投げるというナンセンスに強い手に対して、カウンターパンチを決め込みます。カウンターは、相手が強いほど強くなりますから、強い一手です。リスクはありますが、ヒールに勝ったぞ、会場は沸き立ちます。重い一撃は、したたかに受けると、そりゃあ痛いです。この意味で、絢辻さんは不器用でしたし、二見さんは強すぎた。

コメントにむかついて、のっぴきならぬ、やり合うことに決め込んでからも、まだ楽しめる範疇なんですね。スポーツと戦争の違いは、ここにあります。特権階級からすると、戦争さえもスポーツとか捉えている人はいそうですけどね。ヘルシングの少佐さんとか。

 

スポーツという意味合いを考えると、はじめの『アタマが悪いんだろうな』と認識するのは、フェアーですね。アメフト選手がマウンドでなくピッチに立つとわきまえるようなもんです。このように筋も通るから、そのように紹介をしていたんでしょう。ただ、『あーた、おつむが悪いんですのね~オーホッホッ!』とタカビーに書き換えないと、キレ芸だったんだって伝わらないと思うんですよね。笑いながら怒るという要素がないと、ただ怒るだけになってしまって、その時点ではスッキリしても、相手に悪い感情を持ったままなので、後々スッキリしません。

もともと、この手の葛藤、苦悩、悩みというのは、なにかしらの方法で葛藤をやめるのがエレガントな解なのです。方法はどうあれ、そのコンプライアンスが満たせている解でなければ役に立ちません。別に満たせてなくても構いませんが、『その方法はへたくそなんですの』よ~!

 

さて、わりと一般常識から離れられなかったので、新しいことをつかめる文章だったか自信はありませんが、このへんで打ち切っておきます。しかし…考えの整理なんてもう少しさっさと終わらせたいもんですよね。これじゃあ言葉遊びです。楽しいからいいんですけど。

そんな感じ。

*1:拍子抜けしますが、わりとキクのでお試しを