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止め時なんてわかるかって

Thinking

わたしは、生きるのがヘタだと思っております。

そのへんゆるりと書こうと。

 

 

生きるのがヘタ、というのはなんとなくそう思っているだけですが、少なくともなんでもできちゃう生きるのがうまい連中とは違うなあというだけでも、十分な理由かと思います。このブログだって、考えをまとめるために~とかいいつつ、言葉遊びで結論がスパッと出ないのばっかですし、そもそも一記事こさえるのに二時間とか平気でかけていて、こだわりとか抜かしちゃいます。ええもう、へたっぴ三昧。

昔からわりとストイックな部分がありまして、ゲームでできないステージがあったらそれこそ何年も平気でそればっかやってたりするんです。努力は報われるんじゃなく、報われるまでやるのだという言葉を知ったときには、これぞ我が生き様、座右の銘にふさわしいと思ったものですが、今思えばわたしの人生は武者修行かなにかを現代に間違って拾ってきちゃったみたいですよ。もとのとこに返してきなさい。

 

ごく最近、『もーっと適当に』でいいんだということを学びました。普通に、自然に、とでもいいましょうか。いっそのこと、『好きだからやる』『楽しいからやる』ということさえ、ごく最近学んだものです。別に、競わなくたって、生きられる。

こうしたら?と言われて、ほー、そんなもんかと実行するなんてもはや人間のやることだと思っていませんでした。提案されたことを舐め回すように観察し、疑ってかかり、まる三日くらい吟味して、そこまでやって、じゃあ実験という名目でやるかあという具合で、いっそのこと『いかにして私が正しいのか』の証明のために行動したものです。時間も労力もかかりますが、そうせねば満足できないし、なんだかんだその過程を楽しんでいたように思います。

ついでに、ガマンが利かないんですよね。『あれやろっかなー』と一度思ったら、その時点ですでにカッスカスになるまでむしゃぶりつくすのが決まっていたのです。そういうとき、後で何が起こるかなんてさっぱり考えてなんていないわけで、ただ欲望の赴くままになる。いま現時点で言っても、ブログを書かないで水を飲むべきなのに、そうしていません。喉カラカラです。

欲望に駆られたとき、なにか大きな心の衝動が生まれたとき、10秒数えるようにしています。このところ10秒というキーワードをブログに載せたがるのはこの『画期的』アイディアのためです。こうすると、不思議とどうでもよくなってきたり。どうでもよくならないときは、まあこんな感じで喉カラカラにするんですけど。

 

自分に言っているようでおかしな話ですが、ストイックというのはバカついでに最高にカッコいい生き方だと思っています。どこか不器用で、どこかやりすぎている人間というのは、なんとも味があって面白いもんだとも。天才とか、三日三晩計算し続けたよみたいな逸話を聞くたびに憧れます。

以前、近くのスーパーで手書きの新聞を書いて置いていました。パソコンも使わない、写真もなんかななめにズレていたりして。若いのに、絶対パソコン使えるだろうに、というか前サービスカウンターで使いこなしていたと言うのに、新商品がどうとか、この季節は体調を崩しやすいからこれ食べろとか、びっしり書いていやがりまして。誰も持っていかないような新聞でしたが、わたしはそれが好きでした。

ピクミン2オリマーメモなんてのも、そもそもお宝201個集めるほうが少ないだろうに、ましてや図鑑モードなんか使わないでゲームを終わりにする人だっているだろうに、ひとつひとつびっしり書いてある。細かすぎる設定とか、デウスウキスマキナフィールドとかいうパロディな造語とか。ちゃんとゲームを作ったあと、時間が余ったからやったという感じがしません。あれはきっと、時間がないのに『これはこだわりなんだ!』と作った類でありましょう。

ストイックというのは悪くないのです。時間はかかっても、努力して最後までこなせるというのは悪いことではない。もちろん、ストイックだから、努力したからと言って、あまり洗練されたものが出来上がるとは限らないけれども。味、とくに人間味というのは大事なもんかなと思っています。

適当くらいでちょうどいいんだという道理もよくわかりますが、適当だけで生き抜いてきた人はどうも印象が薄いような気がしてしまって。あら、すんごい失礼。ただ、それくらい適当を嫌悪していたのです。ストイックな人間は、印象は濃くても面倒な人間が多いので結局どっちもたいしたもんじゃないですけど。

 

しかし、ストイックが悪くないなんて思っている根源は、『楽しい』というまさに適当な感情だったと気づいたときに愕然としました。確かに、完璧主義という人達と比べると少し自分はユルいよなあとは思っていましたが、それにしたって自分がまさに適当な人間だったなんて(それでも周りの人と比べると随分頑固だったようですが)!この気付き自体も、ストイックに『ストイックになれる方法』を考えていたから出てきたのでなんとも言い難いのですが、まあ、驚きました。

ですから、楽しいというところだけは残して、ストイックはそうするべきときだけに限定することにしました。それが原因で、楽しくないと不満というストイックさまで手に入れたのはまたなんとも本末転倒という気もしますが、そうやっておきあがりこぼししてるのが似合っているのかもしれません。

 

あんまり自分のことを言葉にして固定しまうのはよいとはいえないので、このへんにしときます。

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