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メモをとる意義

健康好きの人に勧められて、というより、わたしはどうにも不摂生らしいのがばれて、気にかけられているのですが、温めたスポーツドリンクが体に良いという話なので、試しに飲んでみています。スポーツドリンクは体に吸収されやすいとか、色々健康にいいというのを聞いたのですが、温めてみると甘みが和らいで酸味が利いてくるのが乙な味がするのを気に入っています。

さて、特に関係はない走り出しですが、メモについてぼんやり思っていることを書きながら捕まえてみようと思います。

 

 

メモとひとくちにいっても色々で、買い物メモとか、予定のメモとか、設計図なんかもメモに入るでしょう。どれについても言えるのは、一度頭のなかから取り出して忘れようとすること、あるいは、紙に書き出してみると視点が変わるということです。

忘れようとする。忘れる、というよりも、作業机のスペースを確保するために一旦脇に置いておき、ぐっと体を伸ばして気合を入れてどっかり座りなおすという感覚です。

視点が変わる。これも、頭の中のイメージでなく、いったん文字に変わるため、切り替わるという感覚です。内容は同じでも、表現方法が違うから少し違って見えるというのは、ドラマになった本というのが近いでしょうか。原作に忠実と言っても、やはり空気感に隔たりがあるというか。こちらのほうはメモしたことにちゃんと座って考え始める、一旦作業机をそのことだけに整頓するイメージがあるからです。

イデアを出すのに紙に書くのと、予定をメモするのに紙に書くのとでは、違うということにふと気がついてみたら、こういう違いなんだなと。どちらも、覚えておくためにやっているのに、随分に違って見えて驚きました。わたしだけかしらん。

あれこれ考えが浮かんでくるとき、ひとつ考え終わる前にすぐ次が浮かんできてしまうことがあったのですが、そういうとき一旦メモに取っておいて、あとからこうしてブログに書くなりして本式に考えるんですけれど、メモを書いた時点では、一度忘れてしまって、次に来る考えをしっかり受け止めたいから、安心して忘れるためにメモを書いたんですね。

でもこの、忘れるというのの面白いのは、あとでメモを見返してみると、言わんとしていることは覚えているのに、思いついたときの熱意なんかとうに冷めていてシラーっとしてしまったりすることなんですね。なーんであのときこんなんがいいもんに見えたんだろう?と。どうも、外山滋比古先生の『思考の整理学』を思い出します。いったん静かにしておいて、うまく発酵したらそれはいい考えでまた考えるとして、悪い考えだったら発酵してる途中にダメになるんだ、みたいな話があったように思います。ちょうど、このことなんじゃないかな?

 

メモというのは、たしかにわたしの気分屋の思考を支えてくれる、ちょっとした受け皿のように考えています。忘れっぽいのもあって随分助かっているのですが、尊敬こそすれ、あまり大仰に考えていません。安いものを使っています。

いい考えを生むには高いものを、という話も知っているのですが、今考えているところでは『書ければいい』のであって、それ以上の機能というと歩きながら書くのによいかしら、くらいなのでそうしていません。貧乏性というのもあります。

書くということは、考える本体ではなく、整理されていない机でも、いっそ紙の類を下敷きにしてでもなんとかなります。それはあくまで、完璧な環境ではないので、最善を尽くすには向かないかもしれませんし、失敗したときの言い訳ができてしまいます。それを追い求めるのもいいですが、最善は願うものであって尽くすのは手の方だと、文字通り最善を尽くそうとするとお金も時間もいくらあっても足りないので、ある程度のところで妥協しつつ、問題が出てから修正を当てていくようにしています。えーっと、テスト駆動開発ってやつです。言い訳です、何も言うまい。良さがわかるまでまた高いものを買おうかしら…?

 

フォーマットも同様です。いい書き方をしたほうがいいのでしょうが、時と場合によって姿を変えるのを、その時々最善をつらまえるのは難しい。考えるべき部分がかなりありますから、例えば、書くべきもの、その配分、そして最適の配置、簡便さや、使っていて考えの邪魔にならないか、そもそもそれを考えている間に、そのフォーマットで考えたかったことがトばないか。本当であれば、それを作ることに全身全霊、かかりきりとならなければならないのですが、時間がかかる割に不毛だと考えます。

書くときのスピードと、見るときの慣れ、再利用性の観点から、わたしは本式に記録をするときは赤色で修正を、緑色でなぜならばを書き、あとは黒で書いています。メモをとるときは殴り書きが大半です。せっかく罫線の入ったのを使っているのですけれど、無視しています。メモの方は単純で、ペンを持ち替えるのも面倒だし、時間もかけたくないし、もはやフォーマットを認識することさえ面倒だからです。記録の方は、コーディングのときの、エラーとコメントの色で見る分にも書く分にもやりやすいのが気に入っています。記録自体も、面白いなあと思った数学の問題を書いている程度で、それ以外となると、記録するにしても改善の余地があるので黒いののまんまです。数学も改善が見込める分野なのですが、記録することは大切だという話を数学の先生に聞いていらいそれに倣うようにしています。昔は人にああしろ言われると、めんどくさいまでに検証していたのですが、守破離という言葉を肌で感じようという次第です。

 

そんな感じです。

これ以上続けてもあまり煮詰まった話があまりないのでこのへんでやめておきます。