読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

心が急いているときは

心が急いているときは、ヘタに焦って転ばないために、どうすればいいでしょう?

考えてみることとします。

 

 

心が急いて、焦りが体を支配してくると、息も切れるようで、苛立ち、不楽本座の体をなします。焦りの典型である朝寝坊をとってみれば、歯を磨くのを忘れた、時計を忘れた、定期券を忘れた、云々。試験が迫ってみれば、部屋の掃除をしてしまった、不安のあまり机に向かえなくなった、云々。まあそれまでの準備が良ければそんなことにもなりませんが、どうしようもなく不安、焦り、恐れがあれば、ついうっかり、というのも増えてくるでしょう。天人五衰を引き合いに出してみたのも、こうなってくるとあながち的外れでもないように思います。

 

焦りが出てくると面倒なのは、簡単な手計算さえ間違えてしまうなど、今までできていたことが思うようにいかなくなることもあるということで。焦りに限らず、新しいことを覚えてそれで頭が埋まっていたりすると、同じようなことがありますけれど、そちらのほうは新しいことをあらかた覚えて、こなれて来ればだんだん視野が元通りに広がってきます。焦りについても同じように、焦りをなくすように対処すれば、視野が戻るのではないでしょうか。あまり急いでもコケて怪我でもしたらいけないので、我慢しつつペースを保つイメージです。

はたまた、焦ったままでも解決できるかもしれません。たとえ体が追いついていなくても、心が満足するまでずうっとやっていれば、だんだん体のほうが折れて、順応してしまいそうな。こちらのほうは、向上の可能性こそつきまといますが、長丁場になってくると走るのがつらくなってきます。ちょっとキツいくらいのトレーニングをすると、一番効果が出るという話があったような気がしますが、そんなようなイメージですかね。

心が急いて、体が追いついてこないときは、心か体のどちらかが、もう一方に合わせてやる。焦るときは、わたしはそういう風に考えてみていることが多いようです。どうも、言葉にしてみるとしっくりくるような、こないような。どちらにせよ、それでコケないくらいの、ある程度の余裕と冷静さだけは持ち合わせておきたいところです。理由は後述します。

 

ただ、焦るというのをあまり長くやり続けるのは、先程も少し出てきましたが、よくありません。焦りのさなかに居心地がよくてずっとこのままでいたいと思う人がいるのでしたら、あるとすれ、うずうずしてくるといった類の、随分な力量の者が鉢合わせたときのそれです。そうやって楽しめるぶんには、ただの原動力にしかなりませんけれど、問題は焦りから妬み嫉みしか出なくなるほうです。結果が思うように出てこないのでふてくされてしまうかもしれない。それに限らない、あらゆる思考がマイナスに傾きつつあるのだとすれば、諦念まで呼び起こすかもしれない。

まあ長い人生ですから、たとえそれを諦めたところで良い方に転がるかもしれませんし、そもそも進んでいない道の先が果たして本当はなんであるのか知る由もないです。しかし、何かを目指しているその瞬間だけは別で、その諦念は即ちその道の断絶を示します。いやあ、その絶望感ったら、一時のものとはいえ逃げ出すべきなのです。なにより、可能性を己の激情のなすがままに手を離すというのは、ちょっとばかりもったいない。激情というのは、感情的な一人が表す焦りであって、他の一人に演じさせてみればもっと穏やかな可愛らしい苛立ちで収まることと思われます。笹舟から見たらひどいうねりかもしれませんが、それを流す人間の方からすれば、その光景は微笑ましいものです。さて、先程の件になりますが、たとえその激流を利用するにしろ、収まるまで待つにしろ、ある程度の心の余裕がなければ、後ろから流れてくる丸太のことや、足元のぬかるみが徐々に流されていくのに気づけないかもしれません。深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているとは善悪の彼岸にありますが、たとえ深淵の切れ端を明かしてやったのなら、深淵もまたこちらの後ろ髪くらいは捕まえたかもしれません。

激情は、それ単体ではなんの根拠もなしません。いくらVRの体験世界が没入感満載だったとして、帰らぬ人にならぬよう。遊ぶ側だけでなく、遊んでもらう側もそこまでは望んでいません。あくまで、ゲームは楽しく。

 

 

最近は、考えはじめてすぐ、引っかかっていたのを釣り上げてしまって面白くありません。すぐ釣り上げてしまってほなばいならというのもアレなので、もうちょっと楽しめるようにまた何か新しいことを考えないと。

そんな感じ。