読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

現状に満足できないけど時間も教養もないとき

Thinking

服飾関連、立体芸術系、ヘアスタイルとかだと特にですが、現状の出来に満足していなくたって、レベルアップしようとすると、お金も時間も溶ける溶ける。

ただ、そういう投資は、どんどんしていこうというようなお話です。今回は喜劇を読んだ後なので、読み物としてすっと入ってくると思いたいです。へびーじゃないです。

 

 

基本的に、世の中の重要な事項を何かに書き留めるときは、釣り方で留まっています。才能とか10円くらいで売ってねーかなーとか、魚が欲しいときは、どうせくれるんだったら釣り方じゃなくてどっかり魚を寄越せとか思います。時間かかるんですよね、釣り方を覚えてから、魚をポンポン釣れるようになるまで、めちゃめちゃ糸切れるし、エサなくなるし、竿だって池ポチャするかもしれないし。

若いうち、特に高校生なんかの目が開いてきたあたりから要領よく準備ができれば、時間もありあまっているので、釣りマスター状態でスタートダッシュが切れます。だからでしょうかね?大学に行けとか勉強しとけとかいう風潮は。ただ、こういうスタートダッシュが切れる連中というのは、時間をかけて工夫するのが楽しいとか、高い目標をもって突き進めるだけのモチベが油田みたいに湧いてくるやつとか、ネジが外れてる輩が多くいやがります。わたしたちが、このネジは本当はいらなくて邪魔な先入観だったんだと気づくのはもう少し後になってしまう。

時間をうまく取れなくなる、体力もあまり自信がないという時期に、現状にどうしても満足がいかなくなったとき、どうすれば工夫の毎日を送ることができるのでしょうか。

 

スキマ時間を使うとは昔からよく言われます。が、単語を書き出した模造紙なんぞをトイレに張り出してみた人はわかると思いますけど、大して見ないし、やる気も出ない。ホントに覚えられんのかコレ?って感じ。

スキマ時間を使えと言われて、二つ返事ではいわかりましたと言える人間は、モチベーションだけはあるけれども、どうやったらいいのか全然という類か、一言聞いてメリットが了解されて、それだけで原動力になる類です。多分ほっといても勝手にその結論に辿り着いてしまう。

 

時間が足りないのは解決可能です。

「忙しさに身を埋めて、それを理由にして投資ができな~い」というのを、走りで帰って体力付けて、VBA覚えて仕事さっさと切り上げて、猛火の勢いで解決できれば、考えの上では時間が生まれます。難しそうですが、歩いたことのない道のりというのは、はじめてのうちは石橋を叩きながらいぶかしげな顔をして、じっくり進んでみたいと思うもの。これができる人間は、「それやりゃ時間できんだな!?キツいとか知るか!」とかの脳まで筋肉でできてるようなマッチョメンです。

では、その茨の道を前にして、ナタもってホイ進めができない人はどうすればいいか。今度は植物図鑑と、茨の標本でトレーニングをつめばOKです。はじめての道が怖くて、前に歩き出せないのなら、気が済むまで道に照明を置きまくればいいのです。さっきの人とくらべると、まだ筋肉成分がありますけど、細マッチョくらいにはなりました。

でも照明を置くにも、どんな照明が最適かわからず固まってしまう人はどうすればいいか。もうわかってると思いますけど、今度はガーデニングの照明の本を読めばOKです。本が読めなければ、字の勉強をすればOKです。よっぽどの状況、自分があと一秒で死ぬということになっていない限りは、いくらでも問題を小さくすることができます。

もうそんなことをする心の余裕がないよという場合は、心の余裕が削がれる原因を突き止め、それをいなすか解決するかの手段を身に着け、余裕ができるまで回復を待てばOKです。あるいは、心を占領しているヤツが少し目を離したスキを狙って、一気に走ってしまえば、意外と勢いが出てズンダカ進める場合があるので、そうすればOKです。それでもまーだできない場合は、今の心の余裕がない状態に麻痺して慣れるまで待ち、スキができたと思ったらスイッチを入れる準備だけすればOKです。

精神的、時間的、物理的、論理的、様々な障害を前にして言えるのは、自分ができる手段からはじめることと、自分ができるレベルになるまで問題を簡単に切り分け続けることです。疲れたら休み、また切り続けるだけで数年間使うこともありますが、はじめることができさえすればしめたものです。

 

自然なモチベーションと、たくさんの方法を手札に加えることのふたつが基本です。

もし、はやぶさの模型がカッコいいなあと思って、宇宙に興味をもった方がいたのだとしたら、児童漫画から始めるといいです。教育用の漫画っていろいろあって、興味さえあれば小学校一年生からでも読めますから、想像力に自信がない人や、高校で理系とオサラバしてしまった人でも一歩を踏み出せます。まあ、漫画は極端ですので、レベルに合わせて文庫からはじめてもいいのですが、さっぱりわからん場合、にらめっこするよりあっさりレベルを下げたほうが力が付くので、レベルを下げるというのを選択肢に入れるのを忘れないでください。

さて、漫画からはじめると、あんまりに簡単で、すぐに漫画を理解しつくせるので、楽しい感じがしてくると思います。これで、モチベーションと方法を手札に加えられました。

手札が増えてくると、やれることも増えていきますから、ゆくゆくは文庫へ、ゆくゆくは理学へ、論文へ、研究へ、ステージを進められるでしょう。

ただ、気付いたと思いますが、いちいちわからんところまで立ち返ると、かなり時間がかかります。漫画からはじめたとして、論文がまともに読めるようになるのは数年後です。本を買うだけでも途方もないお金がかかります。時間とお金をかければ、自分の望みが近づくというのはわかっても、そんなに長続きしますかね?

だから、方法だけでなくモチベが必要だと書きました。言い換えれば、燃料ですね。本を開いたとして、知識はたっぷりあっても、読む気が無ければ読めません。時間もお金もかかりますから、それを払い続けるだけ、やる気を持ち続けなければなりませんし、そういうもんだと諦めるしかありません。今のところ。

漫画からはじめようというのは、想像力を使わずともいいというのと、読み進めやすく作ってあるのと、笑い話が多いので自然に読みたくなるためです。記述が厳格でないという欠点こそありますが、「記述が厳格じゃない!」というのは「もっと細かい情報をよこせ!」というモチベーションの一種です。それに加えて、その漫画のレベルでは物足りなくなった、という合図ですから、レベルアップのときです。

 

人の人生は様々ですから、レベルアップすべきタイミングがどうであるか、本当にその現状を打開するべきなのか、皆目見当がつきません。答えがないので、向上心を養う本は基本的にボーンヤリ書いてあります。釣り方を教えることに執着するのは、書くのが簡単で済むというのもありますが、完璧にこれだけこなせばOKという手段が、地道にやる以外確立されていないためでしょう。だから、ひとつの参考資料として、つまり誰かが完璧な手段を見つける手がかりとして、経験論か意図だけを書いたものを遺します。そうすれば、自分と同じレベルの技術を伝えつつ、自分の人生では見つけられなかったことを見つけられる可能性を託せるのです。向上とは、一回きりの人生では、あまりにも時間が足らないものです。観念ばかりなのはこの記事もそうですが、そういう背景があります。研究途中で、すべての道の探索が終わっていないので、ヘタなことがいえないのです。

レベルアップするべきタイミングは、自由で構いません。上げてみてうまくいかなすぎるのであれば戻せばいいので。ただ、少し忍耐力が必要なだけで、見た目はすごいけど、大したことないとかの場合があります。本当はそこが登山口ではなくて、迂回路の看板を見逃しただけかもしれません。どーしてもうまくいかなかった場合でも、どっかに何かの注意を書いた看板がないか、探す、あるいは頭の中に入れておく。それでもまったくないなあと思ったら、体力を整えて、筋肉に任せて突き進む。

 

努力でなんとかできる範囲では、だいたい以上のような感じで出来ます。

まとめますと、問題を区切る。誰でもできるようなことからはじめる。モチベを高める。方法を増やしていく。コストは目をつむる。時には力業で進む。現状に満足しない、つまり、レベルアップしていく。こんなもんですかね。

 

わたしはこのような観念的な話ばかり書いています。し、このような観念的な話を考えつつ暮らしています。厳しい道の登山者は、もっとたくさんいて、わたしはまだまだアマチュアですけれど、ちょっと時間を使って看板さえ立ててやればきっと誰かしらのためになるだろうというような具合です。何かを書くことは、ここまで長い必要はないでしょうが、整理にもなるので嫌いではないのもあります。そういう気持ちで看板を立ててる連中はほかにもいて、そいつらも観念的な話を書いています。もっと面倒見のいいやつは、看板なんて小さいものとはいわず、より具体的な話を、たとえるなら登りやすいようにマップを作って、道路整備して、ふもとで登山靴とか、飯とか売っているやつもいます。そういう業界なので、探せばどっかに、彼らの残した看板なりマップなりが転がっています。慣れない作業なので少し時間が必要かもしれませんが、何かの足しにはなるはずです。その道を歩く人に、進み方を聞いてもいいのかもしれませんが、よっぽど気が合う人でもなければ、さっさと前に進みたい人が多いために相手にしてくれなかったりするので、そういう人を探すアンテナを張るか、自分で登山口を検索するほうがおすすめです。

なんでそんな山登りしたがるんでしょうとよく聞かれます。辛いことも楽しいことも、終わってしまって時間が経てばどうせ美談になるので、なんなら死んでしまえばすべて無意味なので、じゃあ楽なほうでいいじゃないかと。ですけれど、結局同じおべんともっていくなら、私は近場の公園よりは、北欧のフィヨルドや、アルプスの峰、ガガーリンの見た青い地球や、ボイジャーの見た星の海で食べるほうが、絶対うまいような、そんな感じがしてならないのです。

科学者をはじめとする探求の世界の連中は、こんな感じの世界観です。

 

簡単に書くと、冗長になりすぎてしまうので、このへんで切り上げておきます。

そんな感じです。