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世のため人のための倫理観

かつてダイナマイトを作り、鉱山開発を圧倒的に簡単にした偉大なる科学者、ノーベル。そのダイナマイトの威力に着目し、戦争に転用され、ここでも大活躍。しかしノーベルは、自分の技術で大勢を殺してしまった。

ノーベルの逸話は有名すぎるほどに有名です。

 

よい技術とはなにか?ニーズとはなにか?そういうことを考えてみます。

 

 

ポスト・トゥルース。昨年、UKの流行語大賞にもなったこの言葉は、客観的な事実よりも、感情に訴えかけるような宣伝をすることが、現代では有効な政治の策なのだということです。

たとえば、最高にスリリングで、甲高くスキールを鳴らし、リミッターも解除したトップスピードで目的地までお届けするタクシー、クレイジータクシーが現代で合法になれば、きっと大儲けすることでしょう。乗る人は楽しい。さっさと着く。別に事故もしていない。ウィンウィンだ、これの一体どこが悪い?

この例は仮想空間だから、スカッとする~で終わりました。町を普通に走る車にしてみれば、交通規制はどうした、危ないじゃないかと一人不快を味わっていますし、倫理観が欠けています。

でもこれは、非現実と言うわけでもありませんでした。トランプ当選の裏には、好き放題吐き散らす、誇張もバリバリのニュースサイトの存在がありました。彼らが祭りを盛り上げ、その圧倒的PVが広告を潤わせ、世論を獲得したトランプはそのまま当選。全員がハッピー。広告代理店、ニュースサイトの運営、トランプ。クリントン陣営だけ美味しくない思いをし、トランプは圧倒的な経済効果をもたらしました。これがビジネスだ、と言わんばかり。

科学ではどうでしょう。研究者たちは、便利なものを作り上げ、その売り上げを次の資金に回します。二束三文にしかならない成果は、苦労などすべて無視される。過程などまったく問題ではなく、結果だけが問題で、結果を生み出せない人間は飯にもありつけない、「仕事をしていない」。

 

人のためになる、というのは、時に人に冷や水を掛けることもあります。好き放題やりすぎてしまったら、止めなければならない。しかし、誰もが笑顔なのに、止める?ひとつのことを究めることさえ、ひとつの人生では足りないのです。がむしゃらを糾弾できるのでしょうか?むしろ止められるべきは、油を注がずに、水をかけるほう?

そういう理由で、学校も、説教も、除夜の鐘も、嬉しくない研究成果も、クリントンも、安寧を走る車たちも、押し込められる時代がやってくる。一部分はもうすでにやってきている。

次に水をさせるものというと、人工知能でしょうか。人工知能が代替する雇用の減少分を、人工知能が代替する儲けで賄えるのだろうかという問題があります。人間の大部分が働く必要のなくなった世界は、どうなってしまうのか。ただ、水をさす行為というのは、たいていが捕らぬ狸の皮算用です。人工知能なんて、できて寿司にタンポポを添えるバイトだけかもしれませんから。

 

でも、ポスト・トゥルースもそのうちに、オールド・トゥルースと同じように、悪いところが出てくるでしょう。それはたとえば、貨幣を増やせばいいのだと増刷するかのようなことだから。

どのようなメリットがあって、デメリットがあるのか、そういうことは経験でもしなければ、理解には至らないでしょうから、この世の中はもう少しの間、ポスト・トゥルースを続けるでしょう。たとえマスメディアが偏向報道を許容しようとも、たとえ国家が国民を騙そうとも、ウソも方便という言葉もあるじゃあないか。せっかく見つけた道だから、行けるところまで踏み出してみよう。そういう感覚で。

人間の在り方、経済の在り方というのは、将棋の世界と似ています。悪手と言う先入観を取り払ってみたら、案外妙手だったとか。この手はみんな知っているから対策を立てられてしまっているだろうとか。将棋は研究の世界で、すべての棋譜をくっつけても、出せる手の全通りからすれば、まだまだつま先くらいしかわかっていないくらいのものだそうです。大局的に見れば、倫理観を大事にするとか、資本主義経済が加速して戦争になるとか、ポスト・トゥルースとか、すべてが定跡を探す行為だったといえます。

 

まあ、大船がどこへ行こうと、乗る乗らないは個人の判断です。大船がその道中に何が起こるかを予測することは、ましてその行く先の善悪など、経験しなければ人生がいくらあっても足りやしないのだから。もちろん、果てがなさそうに見えるだけで、善悪とは机の上でも予測できるのかもしれませんが。

ただ、船に乗っていても、途中で降りるべきなのか、乗らないでいても、途中で乗るべきなのかだけは常に頭に入れておかなければなりません。目指す先が何であるかを、捉えないで目を瞑るという選択肢、サレンダーという選択肢を選びたくない場合は。

空売り筋は、マイナーかもしれないけれど、立派な選択肢です。普通に乗っているのもまた、立派な選択肢です。選択肢の優劣を考えて停滞することは、前進する人にはあまり価値をもたらしません。それで価値がもたらされるのは、その選択肢で停滞できる何らかの余裕がある人だけで。

 

まぁ、少なくてもわたしの領分たる研究だけは、倫理観を失うのはどうなの?ということの答えを注意深く探すように、脳裏に刻んでおきます。

 

 

ポスト・トゥルースについては、今朝のWIREDに詳しいので、参考になるかと。

wired.jp

 

 

そんなかんじ。