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『七胴落とし』感想

Thinking

 

七胴落とし (ハヤカワ文庫 JA 167)

七胴落とし (ハヤカワ文庫 JA 167)

 

 

感応力という大人になるとぱたりと失ってしまう、想像したこと、精神がホログラムのように浮かび上がる能力が象徴的ですね。主人公である三日月は、この力を失う年齢が近づいてき、抜け殻のような大人になってしまうことを恐れ、もがきます。

SFで有名な作家、神林長平氏による『七胴落とし』。

 

以降、読んだ人向けにネタバレ全開なのでお気をつけて。

 

 

官能的な精神の上での遊びが子供たち、感応力者たちの象徴ならば、それを持たない大人とのボーダーが象徴的ですよね。子供たちは、はやく大人になれという大人だけが使える武器に憤りますが、彼らは本当は恐ろしい武器を持っていて、気づかぬうちに振るう。おじいさんが長生きするには強くなければのような話をするところからふと思ったのですが、大人たちは大人たちで、刀をつきつけてくる子供たちに、刀を取るしかないのではないでしょうか。そして、刀が見えないからっぽは、なすすべもなく殺されるしかない。誰もが武器を持っていて、七胴落としに殺されまいと、嘘で戦い、感応力で戦い、あるいは逃げ出し、あるいは気づけずに殺される。

ああ、なんというか、刃物の取り扱いには気を付けたくなりました。

 

大人になるということはどういうことだ、からっぽになることか。諦めることか。この若くも鋭い切り込み方が、人を怒らせそうな作品です。読んでて、これムカついて読むのやめちゃうんじゃ?って心配になります。まあ、だんだん攻撃が苛烈になっていくので、心臓の弱い方にご退場願っているだけだと思いますが。

最初は丁寧に、手加減だとわかるくらいにこちらをつついてきて、じくじくとした痛みを耐えるでもなく耐えながら進んできた読者を、疲れたころだろうと舌なめずり、徐々に速度を速めて、無慈悲にバッサリ。

全体的に乾いた印象なのは、青春ではあっても戦いだからなのかなと思います。言葉は嘘だ、感応なんて嘘だ、その対立をまさに読者にも持ち掛けている…。だって、小説は言葉の羅列で、読む側はそれをホログラムにして感応していますもの。わたしはなんとか、首の皮一枚つながったイメージです。

 

読んだ後もまだ少し残るのは、月子と佳子のことですね。物語上の便利アイテム、『関係があいまいな人』というやつだと思うのですが、妙です。

月子はたぶん、麻美に抜かれた七胴落としたる三日月の、刃物特有の妖しさや実用性といったところでしょうか。まあミステリアスだし、命令されたら殺しもやっちゃいますからね。三日月のほうは七胴落としの血を吸う部分なのかな。

佳子はわりと重要な扱いを受けているように思いましたが、そう気づいたのがクライマックスシーンで、それまでずっと月子を気にしていたので、あまり読めなかったのが悔しいので、もう一回ということで。

 

っていうか、奥付にありますけど、七胴落としって「しちどうおとし」なんですね。「なな」だと思っていました。

 

そんな感じです。

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