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インターネット、百科事典の立ち位置

Thinking

インターネットだけの知識じゃだめだよみたいな話があるとムっとしますが、実は少し前にもありましたよみたいな話です。

長くなりそうなので先に要点を言っておくと、「百科事典は窓口だから広いけど浅いよ」ということです。

それでは行ってみましょう。

 

 

 

百科事典についてまず説明しましょう。

百科事典(ひゃっかじてん、encyclopedia)とは、あらゆる科目にわたる知識を集め、これを部門別やアルファベット順・五十音順などに配列し、解説を記した書物のこと。

百科事典 - Wikipedia

私見ですが、百科事典では出典が示されているとか、編纂段階で有名で実績のある諸先生方が参画しているとか、正当性はそれなりなのですが、解説を一々全部書いたら出典を全部書き写す羽目になってしまいます。それで、とっかかりを掴むのにいい感じの量の説明を添えているものです。これは辞書にも言えることですが、中の言葉はたまに死にます。「研究の結果間違いだった」とか、「使いづらいし覚える必要もねえ」とか。したがって、厳密な定義とは限りません。

 

インターネットは誰でも発信することができます。専門家が発信することもあれば、ネコがキーボードの上に乗ったから発信されてしまった情報もあるでしょう。

つまりその情報は、山ほどあるということです。たとえば、Youtubeに一日で上がる動画は14400時間、つまり6000日、16年とちょっと分です。徹夜して、全部の動画を倍速で見たとして、ディスプレイを3000コ同時に使わないと追いつきません。Youtubeだけでこれですから、インターネットの情報をすべて知ることは不可能です。

そのジャンルも多種多様で、この世のほとんどを網羅しているといっても過言ではありません。それこそ、ハッキングから今夜のおかずまでです。

 

インターネットがそんなに信頼性がないというのは、一人じゃ大変だからです。細かく書いたつもりでも、校正さんとかを雇うネットユーザーってそんなにいません。ずいぶんお金がかかるので。

浅いかどうかは管理人に委ねるとして、広いのは確実としても、正確性には欠けるというのはこういうことです。

もう少し正確性を狙うなら、その手の専門書・専門サイト・論文などをあたるか、専門家をあたるかしたほうがいいのですが、この世のすべてのことに対して知る人間がいない以上、「より正確」というのはいつかも書いた通りです。本当に正確なのは、演繹で成り立つもののみです。演繹が広く使われる数学や、それを表記する論理が尊重される傾向にあるのはそういうことなのだと思います。

 

だから、調べものとしての使用感覚としては、より手広く、しかしチェックが曖昧な、百科事典っぽいという部分があります。

まあ、普通にお笑いを見る感覚で使う人もいますし、友達と連絡するのに使う人もいます。インターネットをひとつの言葉で的確に表せるのは、インターネットという言葉のみです。

 

 

ですが、これだけに頼ると、いろいろな知識が埋没します。職人技が、継ぐ人がいなくてなくなってしまったように。警鐘をならしてもみたくなるものです。だって若い人に継いでもらわないと、無くなりますからね。考古学者が発掘してくれればまだマシですけれど…。ただ、インターネットを使わないと、それがないとわからなかったこともまた、見えなくなります。

あと昨今は、考古学者のような昔のことに興味を持つ人が減っているのだとか。今の考古学者たちは、継いでもらうために試行錯誤中です。歴史マンガとか、これまで以上にいっぱい増えるかもしれませんね。小耳にはさんだところによると、最近は反知性のムーブメントもあるそうですし?そういう現状からすると、昔のことを掘り返してくれる人もいなくなる可能性がありますから、なおさら昔のものも残しておけと言いたくなるものです。ダマスカス鋼が現代に製法が残っていれば、もっと多くのことができたかもしれないという想いから。

技術のように、というか技術そのものですが、あってもなくても、どこそこに問題を生みます。願わくはすべてを保存することができればいいのですが。

 

 

反知性が流行というらしいので、一応浅い知識だけだとなぜダメなのかという話もしておきます。

知性の価値については、すでに上に書いたように、便利な人には便利という具合です。他の人がいーっぱい説明していますから、それを見たほうが早いです。ゲーム理論的に、みんなが知ってた方が有利というのも多分誰かが言っています。

わたしが言うならば、価値以外のことというと、それは単純におもしろくないからです。いっぱい知ってる方がおもしろいと思う人が、あんまり知らない人に「おもしろくないね!」って言いたくなるのは当然です。それが失言にしろお節介にしろ。

価値がわかんない、おもしろくもないなら、触れもしなくて当然です。それでも人にやってもらいたいなら、価値をアピールするか、おもしろく思ってもらえるように漫画とかを描きまくるしかないですが、それをするよりも先に、「それじゃあダメさ」っていう方が数億倍楽です。だから口から出てくるのです。そんなの、遠足を前にして母親が「早く寝なさい」というのと変わりません。それをすればいいのはわかったけど、ちょっと起きてワクワクしたいんだよと反論されてもしかたありません。反論されたら今度はお母さんが催眠術を勉強するでしょうが、じゃあすべてのお母さんが必修で催眠術なんか覚えているわけはないですから、結局言葉で催促する他ないのです。

メリットで簡単に動ける人間だったら、随分やりやすい世の中だったでしょうね。

 

間口が広いよって話をしようとしたらあらぬ方向に行き出しましたので、このへんでやめておきます。

そんな感じです。

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