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『なぜ勉強するのか?』を考える

Thinking

そんな疑問思いつく時点で失格とか言われかねませんが、なぜ勉強しなければならないのか? を考えてみます。

長いので要約すると、『わからない』ということになります。

 

 

勉強をする理由は単純で、スタートライン的に、自分の商品価値的に、お金になります。思考力の面で見ても、勉強しないよりはしたほうがマシだからです。

ただ、そんなことでは解決にはなりません。

富豪になって、秀才になって、あとは墓に入るだけですから、それではいったい、勉学に蕩尽してきた時間の収支は黒くなってくれるのでしょうか?

どうにも、この疑問を呈する人が感じているのは単なる疑問というよりも、目の前に何も見えないという絶望の類なのではないでしょうか。

それできっと何かのためになると走り出せればたいしたものですが、その絶望を見ないように押し隠しただけのことです。いずれまたやってきますし、そもそも先ほど考えた通り空虚に向かって走っただけのことなのです。

いえ、空虚ではありません。忙しさとやりがいのある、見えている範囲において時間を黒字に使った空虚です。不要なものだと忘れてしまった絶望は、本当に不要だったのでしょうか?

このようにして、勉強すると何になるという問題は、金銭が焦点にあるならさておきとして、そうでない場合はかなり難しい問題に様変わりするわけです。めんどくさいだけで疑問が出てきたならば、単純に忍耐力をつけるためで回答になるんですがね。

 

そもそも、刹那的なものを得るのに、時間を失うということをあまりにも軽視してはいないでしょうか。『この戦争が終わったら結婚するんだ』『ショートケーキのイチゴは最後に食べるんだ』とか言って、夢抱いた彼もショートケーキのイチゴも、結局は夢破れるわけです。敵国や、したり顔してイチゴを頬張る姉・兄によって。老後の人生を充実させるためにというのはまずもって、今に置き換えて何がいけないのでしょうか?

待つことによって喜びが膨れ上がる以前の問題で、待てば待つほど次のイチゴを頬張れる回数は減っていくのです。人生は消費するものですから。……と、この手の反論が、勉強の意味という議論の周辺をぐるぐる回っているわけです。手ごわい話です。

 

疑問を呈する側は遊びなり休息なりするだけですが、それにこたえる勤勉な方々の収支は黒字なのでしょうか。

世にいう成功者やなにかを成し遂げる人物というのは、もう少し事情が異なるような気がします。資格を取るために躍起になっている現状と彼らの帳簿を見比べてみてください。たぶん、成功者たちのほうは収支真っ黒、右肩上がりの二字曲線です。自分だって今ずいぶん勉強に投資しているのに、なんだかずいぶん距離を離されたかのような気がしてきます。たとえ自分が今黒字だとしても、もう少しうまい時間の運用というものがあるようです。

 

ここいらで、先に挙げた疑問がよほど面倒なものだと見えてきたと思われます。

さっさと解決する場合は簡単です。このページを閉じて、早いうちに勉強に戻ることです。勉強したくてもできない人のことでも思い浮かべればせっつかれると思います。

なぜ勉強をしなければならないのかよりも、なぜ今目の前にある問題が解けないのかについて議論するほうがよっぽど簡単で、やりがいがあって、面白いことです。いっそ議論するまでもなくポリアのリストを参照すればよいのです。大概の問題の答えならすぐに出ると思います。

歴史的なことに手を出してみてもいいでしょう。たとえばフェルマーの最終定理ひとつ取り出してみても、彼の生きざまを知るだけで勉強をしてみたくもなるものです。要するに、興味が引ければそれで勉強をするという目的は十分達せられ、勉強の意味などすっかり忘れ去られてしまいます。それで大概、問題は起こらないわけです。

問題が起こるとすれば、目的が見いだせないということですが、なんでもいいのです。それこそお金や権力、老後の充実で十分なわけです。

 

少なくともわたしの目に見えている部分では、刹那的な意味なら山ほど見つかる割に、根源的な意味はさっぱり見当たりません。希代の天才たちも、どうにもそれが解ったという文献を見つけたことがありません。自分の不勉強で文献を見つけられなかっただけかと思いますが。

これを探すために勉強するわけです。勉強というのは瞳を開き、暗がりに明かりを放つものなわけです。すべてが明るみに照らされるまで、誰かが照らし続けていくはずです。

 

つまり、現状では特に意味はわからない、というわけです。

金は掘り出されてはじめて意味が生まれます。掘り出される前は空虚な時間の浪費にすぎません。なにせ、そこには掘っているけれど何も見つけられていないただの人がいて、掘り出した後は、金を掘り出した人がいるわけです。

ただ、知識はそんな簡単にすべてを掘り出せるのでしょうか?2000年かけても宇宙はまだ地球の周辺しかわからなかったというのに。そもそも宇宙を探索することが、知識の意味だったのかさえもわからなかったというのに。

この空虚を感じ取って、『勉強をする意味は?』と問うわけで、それについては『まだわからない』としか言いようがない問題のはずなのです。字面だけ考えれば。

教育する立場ならば、そんな空虚を感じ取らせるほどの退屈を感じる要因がどこかに眠っているということに着目すると、この問題を解決できます。勉強を楽しませるとか、ひっかかっている部分を手伝うとか、そういうことのほうが、この久遠の問題からすればずいぶんと手に取りやすいはずです。

 

では、いまだ解かれていないその大問題、勉強の意味を解き明かそうとする人はどうすればいいでしょうか。どうすればいいんでしょうね?

とりあえずわたしは勉強することにします。この方法くらいしか思い当たらないので。

そんなかんじです。

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