便利になるなら不便でもかまわない

おじさんとか古い人間に多いと思うんですが、デスクトップとかお気に入りとか、うわーっとアイコン並んでるのないですか。小さいころ、というか今でも、いっぱいあったってわけわかんなくなるし、もっと整理したら?とか思っていました。

その自分がデスクトップうわーっ型の人間になるとは思っていませんでした。加齢でしょうか?

 

便利そうだなあと思う情報がごろごろ転がっていて、その都度ブックマークに入れていました。けど、ブックマークって開かないと見られないじゃないですか。その点デスクトップならパソコンつければ必ず見えるので、いいなあと思ってデスクトップに張り出したらコレですよ。はじめのうちは汚くなるのが嫌で、すぐまとめたりして用を済ませて消すようにしていたのですが、だんだんルーズになって、仕事以外で大してパソコンを使わないおじさんデスクトップに。

年月が降り積もってる?バカいえ、情報を捌くだけの体力の不足が積もり積もってるんだ。

 

解決法としては、『ほとんどはいらないから捨てろ』らしいのですが、わたしにはそうは思えません。

部屋の掃除なんてほぼほぼゴミだからどうだっていいんですよ。全部捨てればいいし、必要な物だけ残せばほとんどがなくなって綺麗な部屋になります。いらないでしょ?じゃがりこの空き箱とか。

ブックマークって、便利な情報だからこそ残してるんであって、つまり全部必要っちゃ必要なわけで、使う時を待っているけれども、そのタイミングがなかなかこないものが堆積された結果が、このゴミ屋敷なわけです。便利情報に圧迫されて不便になるのってなんだかなって思います。

 

指南通りほとんど捨ててもいいのですが、その収集作業の時間もどぶに捨てることになるわけです。

生活の知恵をまとめた本とかテレビとか、一時間とかそこそこかけてどれくらい覚えてます?結局、消費した時間に見合わない程度しか覚えていないし、実践できないので実質無駄になってしまうのです。これと同じことが起こっているといえば、もったいなく感じませんか。

実用書とかもそうですよね。血肉になった感じします?もはや血肉にする方法をわたしが忘れているのかもしれませんが、ためになった気がして満足して何も覚えていないような感じを覚えます。よくてその本に何が書いてあるかを覚えている程度です。わたしは書店員になりたくて本を買ってるわけじゃないんだ。

 

そうした好奇心を満たすコンテンツになってしまうというのは、受動的にみているからでしょうか?

自分で必要になって探した情報は、すぐに使われて、長い事覚えているように感じます。情報としては有意義に使われています。能動的に調べた者は自分で覚えているわけです。

ニュースやTwitterYoutubeのおすすめ動画はどうでしょうか?自分で欲しいと思っていないけれど、目の前に出てきていいなと思ってからクリックしますよね。受動的だからこそ、自分ののどがからからに乾いていないからこそ、ありがたみを感じないのでしょうか。

まあ、知らないことを知らないコンテンツを調べろというのは無理なので、能動的な情報だけでどうこうするのは難しいようにも思いますが…。

 

管理の手間や、覚える手間を考えるとき、最善は管理対象が少ない事です。あなたが保母さんだったとして、子供が100人いるより、1人のほうが手に負えますよね。じゃあ99人を退園させますか?そんな話です。

大事なんですよ。捨てられないのは内心バカだなあとは思っているのですが。

そもそも、捨てる捨てないの議論で問題は済まないんですよ。情報を使わないなら、残そうが残すまいが同じです。でも、情報をすべて扱えるのだとしたら、捨てれば損ですよね。

こうして噴出する情報をどうやって自分の生活に組み込んでいくか、これがわかれば、ブクマを捨てなくても、アホ止まりにならなそうですね。

 

…なんか疲れたので、問題提起でいったん止めておきます。

まあ、そのうちやればいいや。

こういうところか。

こういうところなんだろうな。